父に導かれた環境工学

「下水疫学」のパイオニアへ

北島正章さん

北海道大学大学院工学研究院環境工学部門・助教

世界初、下水中の新型コロナウイルスに関する総説論文を今年5月に発表された北島正章さん。西原・環境奨学金のOBであり、これまで西原育英文化事業団のサマーキャンプにも、ひょっこり現れては楽しく盛り上げてきてくださったムードメーカーでもあります。そんな北島さんに、世界を舞台にご活躍される今日までの道のり、研究者というお仕事の魅力、そして今後の夢などについて伺いました。

人生を変えた、恩師との出逢い
父が教えてくれた、環境工学のおもしろさ

―――北島さんは、下水中のウイルスに関する研究など環境ウイルス学・都市衛生工学分野での研究をされています。もともとはどうしてこの研究分野を選ばれたのでしょうか?

いま思い出せば、父の影響があるのかもしれません。

僕は佐賀県のとても田舎のほうの出身で、僕が子どものころ父は地方公務員として農業集落排水の整備に携わっていました。

※農業集落排水とは

農村の下水道のこと。農業集落におけるし尿・生活雑排水等の汚水、汚泥または雨水を処理する施設の整備を行うことにより、公共水域の水質汚濁防止や悪臭の防止や蚊などの発生を抑えるなど生活環境の改善につながる[1]

父は仕事柄、汚泥の話なんかを晩御飯のときにしてくれたりしましたし(笑)、僕が中学2年生くらいのときには「下水道展」というイベントに連れて行ってくれました。そこで下水道を掘る機械を目にしたり、企業の名前が入った文房具をお土産にもらったりしたことは今でもよく覚えています。

また、夏休みには、自由研究で川の上流から下流まで生物を観察して、その川のきれいさ汚さを調べたりしていました。親に山の奥にある源流まで、車に乗せて連れていってもらいながら。今考えると小さい頃のこういう思い出が僕のルーツなのかもしれません。

 

それから中学校、高校へと進学して、大学で一つの転機が訪れます。

 

 

 

 

 

 

大学2年生の夏。成績順に学科を決める「進学振り分け」の時期が来ました。僕は先ほどお話ししたような幼いころ親に教わったことを、学問として勉強したいという気持ちが深層にあったのか、「都市環境工学コース」に惹かれました。また、「環境」へのアプローチは工学と理学の双方にある中で「工学がより社会に近い学問だから、就職には有利なんじゃないか」と親から助言をもらったことにも影響されてこの(都市環境工学)コースに入ることにしました。

 

大学4年生にあがると、今度は研究室を選びます。僕はお酒が結構好きなので、お酒を飲みながら教員と話せる懇親会に参加しました。その懇親会でとても気があったのが、(水中のウイルスなど)病原微生物に関する研究がご専門の片山浩之先生(当財団OB)。僕は片山先生の素敵なお人柄にすぐにひきこまれていきました。

そして当時僕のいた学科のなかでとてもご著名な先生に、大垣眞一郎先生がいらっしゃいました。大垣先生に対しては、漠然とすごい先生なんだなあというイメージがあって。それでこの二人の先生のもとで学べる研究室を選択しました。

研究室に入ってからは、先輩(現在は山梨大学教授の原本先生、実は当財団OB)に実験や研究の仕方を一から教わりました。その後、卒業論文を書き終えた春にベトナムで調査、夏にはタイで国際学会発表など、色々な経験をさせていただきました。

初の国内発表で受賞、そして研究者の道へ

 

人生の転機が訪れたのは、修士課程1年生のときのこと。僕はこの年の秋に、函館で行われた国内学会で発表を行い、そこで思いがけず “優秀ポスター発表賞” というものをいただきました。

 

発表後、当時指導してくださっていた先生が「コーヒーでも飲みに行こうか」と誘ってくださって。怒られるのかなとヒヤヒヤしていたら「なかなかいい発表だったね、感心したよ」と褒めてくださったんです。それまでは褒められるようなことはあまりなかったのですが、賞をいただいたことが励みになり研究者の道を選ぶことを決めました。

 

それからこのとき座長をされていた先生から「北島くん、楽しそうに研究しているね」と言われたことも覚えています。純粋に研究が面白いと感じていたことが、周りの人にも伝わっていたのだと思います。

世界にひとつだけ 小さな発見を積み上げて

 

―――研究のどういうところが面白かったのですか?

 

 

 

当時感じていた研究の面白さは、新しい発見ができるというところです。

 

実験をすれば、自分だけのオリジナルのデータが手に入る。そのデータから得られる一つ一つの発見は小さなものだけど、それが積み重なって大きな発見になっていく。さらにその発見を、学会などを通じて発表することで、評価をしてもらえるわけです。

(研究室で実験中の北島さん)

研究者になると決めてからは、本腰をいれて論文を書いていきました。

当時は自分が見つけたデータを世界に向けて論文として発信するということが本当に快感で、博士課程に進むとますます研究が楽しくなりました。だから修士課程から博士課程にかけてはほんとうに研究が楽しくてやっていたという感じです。

―――北島さんとお話ししていると、本当に楽しくて研究をされているのが伝わってきます。「受験勉強を、ゲーム感覚で乗り越えた」という知り合いがいるのですが、その方と何か似たものを感じます。

ゲーム感覚というのは確かにわかる気がしますね。論文にはインパクトファクター(文献引用影響率:特定の学術雑誌に掲載された論文が、特定の年または期間内にどれくらい頻繁に引用されたかを平均値で示す尺度[2])という数値があって、言ってみればこれはポイントです。論文を書くときは、このポイントを”限られた時間内でいかに多くゲットできるか”競うゲームのように感じることがあります。

とはいえ、根本的には研究を通じて環境に関わるいろいろな問題の解決に貢献したいという気持ちはありますし、だからこそ研究成果が社会に活かされたときにはすごくやりがいを感じます。

たとえば、僕が学生の時に所属していた研究室の過去の研究成果に、水道水からノロウイルスのRNAが検出された事例がありました。これは水道業界の人たちに「ノロウイルスがもし塩素で死ななかったら危ないのではないか?」という不安をもたらすものでした。そこで僕は「塩素消毒でノロウイルスが不活化するかどうか」を調べ、博士課程の1年目の時に論文として発表しました。

その結果は水道業界の実務者の方たちにとって大変有用なデータだというコメントをいただき「ああ、こういうことを研究すると社会に貢献できるんだな」と感じられて嬉しかったです。だから今でも研究成果が社会の役に立つということを意識していますし、それが直近のコロナの研究にもつながっています。

(研究室で実験中の北島さん)


 

“君がリーダーシップをとってくれないか”

 

―――5月に北海道大学から出されていたプレスリリース、拝読しました。北島さんの研究チームが「下水中の新型コロナウイルスに関する世界初の総説論文」を出されていましたね。どうして世界初を実現できたのでしょうか?

今回の研究は、まず動き始めるのが他の研究者よりもだいぶ早かったと思います。3月中旬の時点で、海外の研究者と一緒にこの論文の構想を練り始めました。その研究者はウイルスについては詳しくなかったので「マサアキ、君がリーダーシップをとってやってくれないか」とも言われて。それで僕がまとめることになったんです。

 

次に、今回の論文で書いた下水疫学調査の有用性(下水をモニタリングすることで、特定のウイルスの感染流行状況がわかるというアイデア)自体は昔から提唱されてきたことで、僕自身も学生の時から関心を寄せていました。

 

たとえば、僕は博士研究やその後アメリカで研究していた時に下水中の「ノロウイルス」に関する研究をしていたのですが、その研究方法は今回発表した「新型コロナウイルス」における研究方法と同じ。方法は同じで、対象がノロからコロナに変わっただけです。だから論文をまとめる時も背景となる知識や経験がありストーリーを組み立てやすかったんです。

コロナ契機に 新語「下水疫学」誕生へ

 

―――なるほど。ちなみにこのプレスリリースに書かれている「下水疫学」とは何でしょうか?はじめて聞く言葉です。

初耳でしょ。なぜなら「下水疫学」という言葉は僕たちが創った言葉だからです(ドヤ顔)。

 

下水疫学とは、英語の “wastewater-based epidemiology” なのですが、これまで訳語がありませんでした。おそらく日本であまり研究されてこなかったため、対応する日本語がなかったのだと思います。しかし5月に僕たち研究チームの論文のプレスリリースを北海道大学と山梨大学から出すときに、和訳しなければならなくなった。そこでまずは「本当に対応する日本語がないのか?」というところから調べて、ないことを確認した上で、いろいろな訳語の案を出しました。

それから、下水疫学に似た概念は、疫学や化学物質の研究領域にもあるので、それぞれの分野の専門家から見て違和感のない日本語にする必要がありました。こうして話し合った結果、最終的に選ばれたのが「下水疫学」または「下水疫学調査」という言葉でした。前者は学問分野を、後者は実際に下水をサンプリングしてウイルスを測る行為そのものを指します。

 

下水疫学調査は「下水」を対象にするため、一回のテストで何百、何千人を対象にすることができる一方で「個人を特定しない」という特長があります。この特長は、これまでの個人を対象とする古典的な疫学調査が抱えてきた「調査によって個人が特定され、感染者が差別されかねない」という問題を克服するものです。

 

また、ウイルスの感染流行状況を把握するための下水疫学調査においては、様々な場所をモニタリングすることが肝要です。今回の新型コロナウイルス研究では、アメリカをはじめとする海外のモニタリングもおこなっていますが、これは到底ひとりでできるものではありません。わたしの場合、海外の若手研究者とのつながりがあり、彼らとすぐに協力し合うことができたので、世界初を実現できたのだと思います。

無名でも若くても、”何ができるか” で見てくれた

 

 

―――海外の若手研究者との繋がりは、どうやってできたのですか?

 

 

 

アメリカで研究していたときですね。博士課程2年生の時に二ヶ月間留学していて、その後海外特別研究員となり3年弱いました。このアメリカでの研究生活はとても楽しくて。当時僕は英語の会話には自信がなかったですが、周りの人は「彼はまともな英語を書くし、的確な指摘をする」と徐々にスキルを認めてくれて、どんどん論文の共著者に入れてくれました。

 

アメリカは年齢などに関係なく、能力で認めてもらえる国で。日本から来た無名の若手研究者で、英語もたどたどしかったにも関わらず「あの実験のことはマサアキに聞け」という感じで、すぐに信頼してもらえるようになったことが嬉しかったです。

 

当時知り合った研究者が声をかけてくれたことがきっかけで、新型コロナウイルスの、北米初の検出事例に携わらせてもらえたり。アメリカでできた繋がりは、いまの研究に本当にいきています。

 

―――アメリカでの研究後は、シンガポールにあるMITの研究所へいかれていますね。MITに入られたときは、どういうところが評価されたのですか?

おそらくですが、コミュニケーション能力を評価いただいたのだと思います。これは、相手に伝えたいことを的確に伝える、相手の伝えたいことを的確に理解するということですけど、アメリカの研究室で、ひとりで研究室にこもって研究するのではなくて、他の人たちと協力しながら、一緒に研究に取り組んでいたことで、英会話も含めたコミュニケーション能力も磨かれ、結果的に次のポジションを得ることにもつながったということじゃないかなと思っています。

 

あとは語学力でしょうか。 ビデオ面接の時に “You speak good English.” と言われたことはよく覚えています。

 

 

―――最後に、これからの夢についてきかせてください。

 

これまで下水インフラのイメージは「汚水を処理してきれいにする、雨水を排除して都市の浸水を防ぐ」ことに限られてきましたが、新型コロナウイルスの感染拡大をきっかけに、「感染症のモニタリングができる」ことが認知されるようになりました。これは下水疫学分野を推進するうえで、大きな変化だと思います。

 

しかし、新型コロナウイルスの今後の感染拡大状況を知るうえでも、やがて新型コロナウイルスが終息した後に必ずくるであろう、次のパンデミックに備えるという意味でも、これからさらに下水疫学は探求されていく必要があると考えています。

 

僕は、新型コロナウイルスに関する研究で活かされた世界の研究者とのつながりやチームワークをこれからより一層発展させながら、世界の下水疫学分野をリードする存在になりたいという「野望」を抱いています。

[1] https://www.pref.ibaraki.jp/nourinsuisan/rokkonourin/tochi/tochikai/nousyuuhai.html

[2] https://clarivate.jp/products/journal-citation-reports/impact-factor/