卒業生の今

OB・OG Interview

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卒業生インタビュー

 

⽊下政⼈さん

京都⼤学大学院農学研究科助教(発⽣⼯学・⿂類遺伝⼦ ⼯学)

⼈知越えた領域に舵を切る

⿂類ゲノム編集のフロントランナー

 
第 22 回(1987 年)奨学⽣の京都⼤学大学院農学研究科助教(発⽣⼯学・⿂類遺伝⼦ ⼯学)の⽊下政⼈さんです。⿂類のゲノム編集の専⾨家で、最近ではテレビ等への登場も増えている⽊下先⽣。お顔をご覧になったことのある⽅も少なくない かもしれません。そんな⽊下先⽣に、まずは基本的な問い "「ゲノム編集」って なんなの?”というところから聞いてみました。
ゲノム編集って、なんなの?
⽊下さん(下記、敬称略):2010年頃から新たにはじまったゲノム編集は、従来とは異なる⽅法で、遺伝⼦の⼀部を変えるものです。 ごくごく簡単にいってしまうと「遺伝⼦の⼀部を変える」ことによって、⽣物の ⼀部の機能を呼び覚ます技術なのです。でも実は「遺伝⼦を変える」こと⾃体は、けっして新しいことではありません。われわれ⼈類は農耕牧畜をはじめたときからずっと「品種改良(*1) 」や「育種(*2) 」など、なんらかの形で遺伝⼦に⼿を加えて きているわけです。 たとえばいま⽇本⼈が⾷べている野菜のなかで、100%原種のものというの はほとんどありませんよね。なんらかの形で、実(⾝)を⼤きくするとか、⽢みを強くするとか、酸味をおさえるとかの品種改良がされている。実はこういった「育種」、「品種改良」と、「ゲノム編集」とはさほど変わらないものなんです。同様のことはこれまでも⾏われてきたわけなので、特別にゲノム 編集が危険というわけではないと考えています。 ただ「ゲノム編集」が特徴的なのは、「遺伝⼦が壊れる」ことを利⽤していると いうところです。「ゲノム編集」は、遺伝⼦のなかのある部分を狙って、ハサミのようなものでチョキンと切る。すると、切られてから遺伝⼦が修復されるまで の過程で、ある種のミスが⽣じる。この「ミス」を使って狙った遺伝⼦の配列を 変えていくことが、その特徴です。 つまり、遺伝⼦の配列を少し変えることにより、⽣物を変える。この本質の部分は⼤昔からしてきたことと同じで。ただ、その⼿法が異なるというだけというこ とです。
 
(※1) 品種改良…作物や家畜などの遺伝的性質を改善し,さらにすぐれた品種をつくること。たとえばイネな どの場合,わが国では明治時代以後,農業試験場などで品種改良の研究が進められ,早く実るもの,病気 に強いもの,害⾍に強いもの,寒さに強いものなど,すぐれた性質をもった品種がつくられてきた。出典はこちらです。
​(※2) "品種の育成"という意味で,⽣物のもつ遺伝的形質を利⽤して改良し、有益な品種を育成すること出典はこちらです。
⿂類ゲノム編集は、理論ではなく実践のフェーズ
こうした「ゲノム編集」は、たとえば、現在ではエイズなどの治療が困難な病気の治療にも応⽤できると考えられます。わたしがいま研究しているのも、⿂類のゲノム編集で、研究の実践がすこしずつできています。たとえば、これまでには「通常の⼆倍のスピードで成⻑するトラフグ」をつくりました。そういう意味では、もはや理論ではなくて、技術であり⼿法になってきているといっていいと思います。
反対や抵抗は、「未知」からくるもの
ただ、遺伝⼦を⼈⼯的に操作すること、編集することに対して抵抗がある⽅も多 いとおもいます。⼀⽅で、この研究を進めてゆくなかでベンチャー企業の⽅と関 わったりすることも少なくないのですが、そういった企業には遺伝⼦操作に対して積極的な姿勢でのぞまれる若い⽅もけっこういます。わたしの印象ですけど、若い世代になるほど遺伝⼦を改変することに寛容になっているんじゃないかとかんじています。ちょっと誤解を招くような⾔い⽅になるかもしれませんが、遺伝⼦に対して⼿を加えることに対する抵抗は、単純に「知らない」ことから⽣まれているんじゃないかと思っているんです。だから、きちんと説明し、少しずつ理解を得るようにすることで、徐々に浸透させて⾏くことは可能だと考えています。実際に、遺伝⼦組み換え⾷品に抵抗があるという⼈に対して「なぜ⾷べないの か?」「なにが、どのように危ないのか?」と聞いたことがあるんですが、具体的に理由を述べた⼈はいませんでした。
「安⼼」をどのように定義するか?
つまり、得体の知れないものだから怖いのだと思います。当然といえば当然ですが、未知なるものに対しては恐怖をもたざるをえない。これは無理無いことでしょう。例えば海外旅⾏にいったとき、⾒たこともない料理がでてきますよね。このような場⾯でも、けっこうな⼈は⼝にしてしまいますよね。こんな場⾯で「なぜ知らないものなのに、⾷べるのか」と尋ねると、「ここに住む⼈たちが⾷べてきているから」という答えが返ってくる。ですから、わたしたちがゲノム編集をした⿂も、マウスなどを使った検査をつうじて、慎重に「安全性」を確かめてから⾷べてもらうというように、徐々に浸透 させていきたいと考えています。 わたし⾃⾝も学部の学⽣などに対して、研究に対する理解を得るために、ほんとに基礎的なことから、たとえば「遺伝⼦の構造」から説明することが多いですよ。 すると、はじめは怖いといっていた学⽣が遺伝⼦組み換え⾷品を⾷べるように変わったりします。「未知」というハードルをなくすことによって、イメージや 姿勢が変わる可能性があることを、肌で感じています。
「天然」信奉は⽇本特有 ⽶国セレブに養殖⼈気の訳
たしかに、⾃然なものに⼿を加えること⾃体に対する抵抗というのはあると思います。特に⽇本⼈にはそうした感覚は強いように感じています。アメリカでは、養殖マグロの⽅が、天然マグロよりも⼈気だったりするんです。向こうの⽅のなかでは、養殖はセレブが⾷べるもので。「⼈間がつくったものだから安⼼できる」というのと、養殖ものを⾷べることに よって「天然ものを守っている」と⾔うことができるからのようです。特にマグ ロなんかはそうですね。ただ、こうした研究も極端に進んでしまうと恐ろしいということは⾃覚しています。⾷ということに限っていうなら、どんどんどんどん、際限なく効率よい⾷品を追求していったりすると、自然環境などに害を及ぼすようなものまでできてしまうかもしれないので。科学技術は益も害もあるもろ刃の剣であること を忘れないようにしています。 ですから、わたしもどこまでこの研究を進めていいのかは、常に⾃問⾃答しています。決して「なんでもしていい」などとはおもっていないですよ。それと、もう⼀つ⼤変に⼤事なことは、⾃分の開発したものを、絶対に⾒放したりしてはいけないとおもっていますし。何が起きるかわからない怖さは感じています。
⽬的は「役に⽴つもの」をつくること
正直なところ、この研究をはじめた当初は、そんなに崇⾼な⽬標はありませんで した。研究をはじめたころは、わりと純粋に「興味」「関⼼」に忠実でした(笑)。 ゲノム編集によって、⿂がどのように変わるのかを知りたい。そんな好奇⼼が強 かったです。ただやはり、ぼんやりとではありますが「何か役に⽴つものをつくれたらいい な」と思ってきましたし、いまも思っています。たとえばいましていることでいえば、先ほど述べたような⽣育速度が⼆倍のトラフグは、⽔産業を営まれる⽅にとってはコストの⼤幅な削減につながります。ですから、いま⾼齢化などで問題を抱えている⽇本の地⽅における⽔産業の効 率化・活発化に、ゲノム編集が寄与する可能性は⾮常に⼤きいと考えています。⿂類のゲノム編集が発達することで、いまは働き⼿が⾜りていなくて困ってい るような漁村地域で、消費者のニーズに応えられるような⿂をつくれたら。その イノベーションを機に、若い⼈も住めて、元気に働けるような村になるかもしれない。そんなことを考えています。あとは、消費者にとってという観点では、もっと⾷べたら元気になるような⿂を つくることなども⽬標にありますね。しかし、そういうところを⽬指す上でもやはりゲノム編集の研究そのものを理 解してもらう必要があります。 だからまずは、遺伝⼦を変えるということについて「知らないから怖い」という ⼈に対して説明をしていくことを通じて、遺伝⼦研究に対するハードルを下げていきたいですね。
 

丸山奈緒子さん

外資系 環境コンサルタント会社勤務

かけがえのない経験への後押しと、先輩奨学生の素晴らしいネットワークが得られると思います。

 
事務局(以下、事):自己紹介をお願いします。
丸山さん(以下、丸):丸山奈緒子です。西原・環境奨学金のOGです。東京農工大学農学部を卒業後、千葉県庁で用排水路等の農業施設を整備する仕事をしておりました。在庁期間の最後の2年間は休職の機会をいただき、エール大学森林環境学スクールで修士号を取得しました。帰国後は環境関連の仕事をしています。最初は第三者認証機関で温室効果ガスの検証やCSR報告書の審査を行いました。現在は環境コンサルト会社で環境関連の調査、監査を行っております。
 
 
事:奨学金を受けられていたのはいつ頃ですか?
丸:2007年の西原・環境奨学金第一回に応募をしました。
事:留学先について教えてください。
丸:エール大学森林環境学スクールで環境マネジメントを専攻しました。環境のゼネラリストを育成するコースなので、広くいろいろな分野の授業が必須科目になっていました。大学、大学院があるのは、アメリカの東海岸、コネチカット州にあるニューへイブンという町にあります。ニューヨークとボストンの間に位置している学生の町、というかほとんど「エール大学の町」です。大学構内は趣のある建物が多く、とてもきれいですが、実は治安があまりよくありません。
事:留学生活では何がいちばん大変(キツい、タフ)でしたか? 
丸:1年目に受講した米国の環境法律の授業はとても印象深いです。私がエール大学に入学するきっかけになった恩師の授業でした。教授が2年目はサバティカルリーブ(大学教員に与えられる長期有給休暇)に入るため、英語に不慣れな1年目にどうしても受講取得せざるを得なかったのですが、環境法と裁判の専門用語と独特の言い回しに苦労しました。しかも、週に数100ページ(!)を超える読み物があり、授業で教授は資料も黒板も使用せずひたすら話すのみです。最初は授業の理解もままならないのに、単位の評価は2回の試験だけ、それも膨大の法律を暗記し、長文の解答を書くものだったので、ものすごいプレッシャーでした。名物授業の1つだったのですが、授業の内容はもちろん、教授をうならせたいと授業中繰り出される学生たちの挑戦的な質問。さらにすごかったのは、それを見事にさばいてゆく先生。こうしたやりとりを、当事者として体感できたこともこの授業の醍醐味の一つでしたねぇ。私はやり取りについていくのに精一杯だったので、なんだか他人事みたいですが(笑)。
事:逆に、一番楽しかったのは? 
丸:森林環境学スクールは生徒の数が1学年100数十名で、多様性を重んじる学長の方針で30%程度が留学生でした。いろいろな国の友人と行うポットラック(1品持ち寄り)パーティはいろいろ国のお料理を食べられ、楽しみのひとつでした。え?私は何をもっていったかですか?お好み焼きやカレーを作ってもっていきました。特にお好み焼きは評判良かったですよ。

また、大学院では必修のインターンや授業のプロジェクトで海外に行く機会あり、貴重が経験となりました。私は、1年と2年の間の夏休み、ロンドンにあるCarbon Disclosure Projectという機関で1ヶ月半インターンを行いました。また、バイオ燃料のライフサイクルアセスメントのプロジェクトでインドに、産業連関表のプロジェクトでプエルトリコに、それぞれ1週間程度行き、政府機関、大学の教授等へのインタビューを実施ました。海外での調査の経験は、学生がインタビューの設定から現地での移動アレンジを行うこともあるのですが、帰国後の仕事でも大変役に立っています。
 
 
事:専攻、専門、また修論について、簡単に教えてください。
丸:専攻は環境マネジメント学です。企業の環境に関する取組みに興味があったので、産業環境管理の関する授業を中心に受講し、修論もその分野の先生に指導をいただきました。修論では途上国における電気事業の発電効率の変遷を調査とその原因の分析を行いました。また、世界でも最もよい発電効率を適用した場合の温室効果ガス排出量削減量を算出しました。

森林環境学スクールには環境科学修士という専攻もあります。こちら研究者を育成するコースで、必修の授業が少ない分、修論は必須です。私は環境マネジメントというゼネラリストを育成するコースを専攻していましたので、修論の作成は必須ではありませんでした。しかし、博士課程の先輩と共著で論文を書き、幸運なことに論文がEnergy Policyという専門誌に掲載された!
 
事:現在のお仕事の内容について教えてください。お差し支えのない範囲で具体的に。
丸:現在は外資系の環境コンサルタント会社に勤務しており、政府、民間企業の環境関連の業務を行っています。具体的には、国内外の環境法令の調査、企業の環境に対する取組みの調査等です。二国間オフセットクレジットの実行可能性調査や海外で温室効果ガスの検証方法について研修も行っています。他にも、工場の環境法の遵守の審査や融資・保険申請時の環境影響評価書の審査業務と業務は多岐に渡っています。

海外関係のプロジェクトも多く、メールのやり取り、レポートの作成、出張先での打ち合わせ等、英語を使用する機会も多いです。
事:話は変わりますが、僕(事務局)は丸山さんを猫友達の一人と認定してるんですが… 猫、お好きですよね。
丸:はい、わたしが9歳の時から我が家には猫にいまして、もう人生に欠かせない存在だと思っています。実は、最初に家にいた2匹の猫たちが病気で亡くなったのも留学を考えたひとつのきっかけでした。病気の猫たちを家に置いて、泣く泣く出勤をするのですが、それが非常につらくて。そのとき改めて本当に心の底から好きな仕事に就いたいと思い、環境についてもう一度、勉強するための留学を考え始めました。う〜ん、なんか上手くいえないですけど…
事:いや、何となく分かるような気もします。
さて、話は戻りますが、西原育英文化事業団、西原・環境奨学金についての印象は?なんか漠然とした質問で申し訳ないですが。
丸:すごくアットホームで非常に学生に親身になっていただけるという印象があります。私は面接の際にはすでに渡米していたんですが、国際電話での面接で対応していただき、非常に有難かったです。
事:いや、あの電話面接は、事務方としてもものすごく緊張しました(笑)。
さて、後輩の奨学生、あるいは西原・環境奨学金への応募を考えている方に何かメッセージがあれば。
丸:大学や留学先の国によりますが、海外留学は一般的に非常に費用がかかります。すべての費用を用意してから留学をしようとするとベストの時期を逃してしまう可能でもあり、私の留学先でも多くの学生が奨学金を利用し、自ら学費、生活費を工面していました。私自身も自費留学でしたが、奨学金には非常に助けられました。
この分野での、留学や大学院をお考えでしたら、西原・環境奨学金もその選択肢に入れてください。
かけがえのない経験への後押しと先輩奨学生、事務局の方々とのすばらしいネットワークが得られると思います。
事:ありがとうございました。
丸:いえいえ、どういたしまして。
大学院の卒業式での写真。森林環境学スクールは帽子に葉っぱ等で飾り付けするのが伝統です。(私は右から3番目です。)
 

伊藤隆さん

東北大学 学際科学フロンティア研究所

OB・OGの声第二弾(拡大版)

「東日本大震災」について​

 
2011年3月11日に発生した大地震とそれに伴う大津波は、まさに文字通りの未曾有の大災害となってしまいました。この大災害において、我々は何をすべきか?この問いは、地震、津波の発生直後からずっと引っかかっているものです。そんな中、発生から一ヶ月半ほど経った4月24日、当団OBの一人である伊藤隆東北大准教授を訪ねる機会を得え、震災時の体験談、そして伊藤氏の専門分野を通して見える、311以後のこの国のあり様などについてお話をうかがうことができました。「我々は何をなすべきか?」という問いかけについての直接の答えでは、決してありませんが、その答え、「解」を得るための一つの手がかりにはなるのではないか、と考え「OB/OGの声」第二回、拡大判として掲載させていただくことにいたしました。
「とにかく情報が入ってこない」
事務局(以下G):地震のときは仙台市内のホテルにいらっしゃったとか。
伊藤(以下I):はい。講演会がありまして、ホテルの宴会場にいたんです。僕は宮城沖地震も経験してますし、仙台っていうところは割と「地震慣れ」のあるところなんですが、それでも今回の揺れは、これはちょっと違うぞ、まずいぞと思いましたね。シャンデリアがなんかもバラバラ降ってきちゃったりして、怖かったですよ。
G:私はちょうど東京の事務所、これが10階なんですが、にいまして、確かに今まで経験したことがないような揺れでしたねぇ。それでも震度5弱です。それに電気も水道もダウンしなかったですし。
I:仙台の場合、完全に停電になりましたんで、とにかく何がどうなってるのかという情報が入らずこまりました。友人から電話がきて「仙台空港が水の中にあるよ」って、そんなことあるのかって思ったんですが、とにかく映像がないんでイメージがわかないんです。しかし、そんな風に断片的に情報が入りだしたら、もう夜でしたね。
G:私も東京で職場から帰れなくて事務所に泊まったんですが、電気が止まらなかったんで情報は入ってきました。いや、今回はテレビの力はすごいなぁと思いましたね。 震災の中心が東北だというのもすぐわかりましたし、その後津波の情報も映像がどんどん入ってきました。これには、もう、ビビりまくりましたが。
I:いや、僕が津波の映像をはじめて見たのは、YouTubeでだったんですが、電気が通ってからだから、四日後とかそれくらいたってからなか。いや、こんなことになってたんだ…ともうほんとにびっくりしました。それまではTVなんかも見ることができなかったんです。
G:私はちょうど東京の事務所、これが10階なんですが、にいまして、確かに今まで経験したことがないような揺れでしたねぇ。それでも震度5弱です。それに電気も水道もダウンしなかったですし。
I:仙台の場合、完全に停電になりましたんで、とにかく何がどうなってるのかという情報が入らずこまりました。友人から電話がきて「仙台空港が水の中にあるよ」って、そんなことあるのかって思ったんですが、とにかく映像がないんでイメージがわかないんです。しかし、そんな風に断片的に情報が入りだしたら、もう夜でしたね。
「夜の星と避難所のランタンの明かりがきれいでした」
G:震災後に伊藤さんにメールしたとき、電気が無くて夜の星がこんなにきれいに見えてびっくりした、なんて書かれてたでしょ。それで、思い出したのがヴィクトール・フランクルの『夜と霧』。彼は、その中でアウシュビッツのような極限状態の中で生き残る人間には二つのタイプがあると書いています。一つは絶対に仲間を裏切らないこと、もうひとつはどんな状態でも周囲の環境、自然とか天候だとかへの感性を持続できる人間だと。そういう意味で伊藤さんは生き残るタイプの人だなぁと思っていました。
I:いや、ありがとうございます(笑い)。うち(マンションなんですが)は特に大丈夫だったんですが、すぐ近所の学校が避難所になってましてね。マンションのベランダから見ると、明かりが消えた仙台の町の空の星や、その避難所のランタンの明かりがほんとにきれいでしたねぇ。いや、今にして思うとものすごく不思議な光景でしたが、同時に大変に印象的でした。震災直後の夜は、何もできなかったですし、震災以前とあまりに違いすぎてたんでしょうね、周囲の環境が。
G:食料品なんかの物資はどうだったんですか?もう、コンビニやスーパーのからの棚なんかがニュースで繰り返し流されて、海外でもかなりショックを受けた人が多かったみたいですが。
I:ダイエーがかなりがんばりましたねぇ。建物が無事だったというのも大きいんでしょうけど、関西方面から10tトラックでピストン輸送をしていました。食パンは広島、牛乳は九州からだったりで笑)。でもそのため価格が高くなっているわけでもなく、たいしたものです。2時間3時間並んで待たなくてはいけませんでしたけどね。購入品目の点数や滞店時間にも最初のころは規制があったりしました。
G:そこで荒稼ぎをしようとかいうことはなかったんですね。
I:そうです。それはほんとになかった。でもガソリンスタンドの列なんかに来てダフ屋みたいにリッター200円でどうですか、みたいなオッサンはいましたけどね(笑)でも、殆どは良心的にやられていましたね。
G:私の自宅の周辺(神奈川・葉山)だと、乾電池とかミネラルウォーターとかがお店から消えてまして、直接の被災地でもないのに、これはちょっと嫌な気分になりましたねぇ。
I:これはジャスコに行った時の話ですが、カップ麺が山積みされていて普段、生協で130円するものが95円になってる。その理由っていうのが、震災でかまぼこの入手が困難なって。かまぼこ抜きとなっているためですとか言うんですよね。
G:う〜ん、かまぼこ抜きでも全然、問題ないですよね(笑)。
I:もう、ハコで買いました(笑)。
「パラダイムシフトのきっかけになるか」
G:専門分野の話になりますけど、伊藤さんの専門って「電池」、特にリチウム電池でしたよね。これはこれから、ものすごくいろいろな意味で期待されてくるのではないですか?
I:そうですね。ただね、なんだかいきなり言い訳がましくなっちゃいますけど、「電池」という技術は、まだまだ改良の余地が大きいんです。と同時にある種の限界もかなり見えてきてる。基本的に電気は造り置きができません。蓄電池でも水や液体燃料のようにためておくということは難しいんです。電気を使うシステムの場合、起動時には、結局、コンセントを指さないとダメってものが少なくないんです。
 
G:蓄電池の技術というのは限界に近づいてるんですか?
I:かなり限界に近づいていますね。あとは大型化してくだけと…。だからこれ(カメラの電池を指して)なんかすごいんですよ。性能的には限界に近いです。僕のやってるリチウム電池の理論的な限界というものも、もう明らかになってきているし、これから先、急激に容量が倍になるとか寿命が倍になるとかはあり得ないんです。

しかし、今回の震災は我々の生活が如何に電気に依存したものだったかということを、気づかせてくれました。いや、その依存度をどうこうしようという話とは別に、そういう非常に重要なインフラである電気を今後はどういうシステムで供給してゆくのか、現行のシステムを復旧させてそののままでいくのか、新しいシステムを構築してゆくのかということなんですよね。
G:スマートグリッドというのはどうなんでしょうか? 
I:あれも実はそれなりに問題がありまして、ひとつは自分のところで電気を作って売りますよね。一番の問題は買値と売値を等価にすればいいのですが、いまは売値のほうが高いんです。確か、今、1kwあたり家庭用で23〜4円なのですが、それを電力会社が買い取る時、倍にして40数円で買い取るんです。だからそこで太陽電池をもったものが得をするような仕組みにしてあるのです。その仕組みが無くなったら、おそらく太陽電池は売れなくなるし、太陽電池自体もパネルなどは長く持つのですが、他の部品、樹脂とかの寿命は短いんです。太陽がばんばんあたっているわけですから、どうしたって痛む。

つまり、抜本的なエネルギーシステムの転換にまで踏み込んでるのかどうなのか、結局のところ既存のシステムを前提として成り立っているだけなんじゃないか、ということです。
 
 
G:なるほど。ちょっと話は飛びますけど、ソフトバンクの孫正義氏が「東日本ソーラーベルト構想」なんていう、かなり大規模な自然エネルギー(再生可能エネルギー)利用システムを提唱していますが。
I:あれはけっこういいと思います。あれくらいの大きな規模でやれば。つまりでかいものを作ってある一部分を利用するとかそういう方法ですね。それこそシステムそのものにまで踏み込む。それなりのリスクはもちろんあると思いますけど、それでもね。

そう言えば、急に話が小さくなっちゃいますけど、震災発生当時、携帯電話の充電をどうしたらよいかと皆さん、困っていました。車の運転中に充電したりとか、街中ではパチンコ屋が台の前にコンセントを並べて充電サービスしたりとかありました。最初の話になっちゃいますけど、情報が途絶えるっていうのが一番堪えるわけです。ですから、携帯電話の充電っていうのはやはり重要な問題だと思います。そういう意味でね、まったく新しい形式の「電池」、たとえば液体をいれるとすぐある程度の充電ができるとか、そういうものが既にあるわけで、実用化普及化がやはり進むでしょうね。そういう小さいこと、システムそのものに係わる大きいこと、の両方が今度のことをきっかけに変わっていくと思います。
G:財団のOBが震災直後に言っていたんですが、この震災は一つのパラダイムシフトのきっかけになるんじゃないか、いやこれだけの犠牲を払ったのにそうしないわけにはいかないじゃないか、と。
I:いや、まったくその通りだと思います。いや、そういう大転換ということだけじゃなくて、もっと小さい転換というか、非常にこまかい技術論的な話になっちゃうかもしれないけど、この震災をきっかけに面白いなぁと思うものも出てきてます。そういう転換もある。たとえば、緊急地震速報。いや「直前に教えてくれるっていったって、そんなの役に立つのかよ?」と実は思ってたんですよ。ところがね、たとえ数十秒前でもあっても、退避姿勢をとれるとか、実際あるとないのではだいぶ違うわけです。これは、もう、ほんとに痛感しました。
G:あ、それは僕も思いました。直前って何秒前かでしょ?それじゃあねぇ…なんて思ってましたが、実際使ってみるとけっこう違う。でもね、この前、電車の中で一斉にみんなの携帯から緊急地震速報のチャイム音が聞こえたことがあるんですが、アレは、かなり(笑)。
いや、伊藤さん、今日はお忙しいところお時間割いていただきありがとうございました。
I:いえ、どういたしまして。また、来てください。
後日、事務局が伊藤氏よりいただいた「どんべい 震災版」。味はまったく変わりませんでした。ただ、気のせいでしょうけど、かまぼこがないのはちょっと寂しかったような…
 

九州大学マス・フォア・インダストリ研究所 准教授(取材当時)
 


2013年4月より金沢大学 理工研究域 数物科学系 数物科学系・計算科学コース 教授

奨学金以外に得られた経験がとても大きかったなと思います。

事務局(以下G) では、自己紹介をお願いします。
木村(以下K)九州大学マス・フォア・インダストリ研究所の准教授で、専門は応用数学です。
G え~と、その、マス・フォア・インダストリ研究所とは何ですか?「産業のための数学」?
K:そのとおり!大変よくできました!産業のための数学研究所です。2011年4月に発足した新しい研究所です。私は計算機を使った数値シミュレーションの基礎研究をしています。以下がホームページです。僕自身の専門についても、もうちょっと詳しく述べてますので、興味のある方はじっくり見ていってください。

http://www.imi.kyushu-u.ac.jp/
 
G 当団奨学金はいつ頃受けておられましたか?
K:京都大学大学院理学研究科博士課程のときにお世話になっていました。もう、かれこれ、20年近く前のことであります。
G 西原育英文化事業団奨学金の印象ってありますでしょうか?
K:なんと言っても、「いするの家」で開催されるSummer Campですぇ。最初は様子もわからず、おそるおそるでしたが(いや、本当にはじめてのときはかなり「おそるおそる」でしたよ)、全国から個性豊かな分野の異なる学生やOB/OGが集まって、毎年参加するのが楽しみでした。
G 当団奨学金はいつ頃受けておられましたか?
K:京都大学大学院理学研究科博士課程のときにお世話になっていました。もう、かれこれ、20年近く前のことであります。
G ああ、なんか懐かしいですねぇ。なんか夜中まで議論したりしてましたよねぇ。まぁ、今から考えると大したネタでもなかったかもしれないんですが。いや、20年も前のことになってしまうんですねぇ。いや、今でもちゃんとやってますよ。かなりOB/OG会的傾向が強くなってますけど。でも、木村先生はココの所ずっとご無沙汰ですね。
K:あっ、いやぁ、仕事や家庭で忙しいのと、なんといっても、まあ、地理的に遠くなってしまったのが大きいですかね。でも、またできれば参加したいと思っていますよ。いや、ほんとに。
G そういえば、福岡から博多湾上の「島」に引っ越されたとか?通勤は「渡し船」ですか?
K:2年前に引っ越して冬眠を、もとい、島民をしています。「渡し船」というと矢切の渡しみたいな手こぎ船を想像しますが、立派なフェリーによる市営渡船です。ものすごくいいところですよ。通勤も当初思ったほどには大変ではありませんでした。天候が悪くて出勤できなかった、帰れなかったということも、この2年間で一回だけ(帰れなかった)です。将来的にはシーカヤックで通勤というのを目指しています(無理)。
G 後輩の奨学生、あるいは奨学金への応募を考えておられる方々へ何か一言あればお願いします。
K:今思い返せば、Summer Campなどでいろいろな人と交流できて,奨学金以外に得られた経験がとても大きかったなと思います。これは経済的援助とはまた違った形の学生に対する支援ですね。私は他の企業からも奨学金をいただいていたこともあったのですが、そのような交流の機会などはなかったですから新鮮でした。ぜひ、Summer Campでお会いしましょう!
 
G 今日は、ありがとうございました。

西村直也さん

ナノメートル単位の「見えない世界」を探求する 室内空気質研究の世界

芝浦工業大学   建築学部建築学科

 

「他人がやろうとしていたら止めていたと思います」研究者になる道を選んだ決断をこのように振り返るのは、第31回西原特別奨学金奨学生(環境工学、衛生工学、設備工学等の専攻専門をもつ学生を対象とした奨学金。現行の西原・環境奨学金の前身)の西村直也教授(芝浦工業大学建築学部建築学科)。

 

建物内部の空気質を専門とする西村教授は、東京工業大学工学部建築学科・東京工業大学大学院総合理工学研究科をご卒業された後に、一度大手民間企業へ就職。その後改めて研究者というキャリアを選ばれました。

 

そんな西村教授に、現在の研究内容・それを選ばれた理由、そして一度民間企業で働かれた経験が、現在の研究にどのように影響しているのかなどを尋ねながら、これまでのキャリアを振り返っていただきました。

現在どのような研究をされているのでしょうか。
建物の中の「空気質(IndoorAirQuality)」に関する研究を行なっています。わかりやすく言えば、室内の空気の良し悪し。これを専用の測定器で測定するようなイメージです。
それはホコリとかの数をはかるような感じでしょうか?

平たくいえばそうですね。専門の言葉では「浮遊粒子状物資」と言います。いわゆるチリ・ホコリなどの中でもだいぶサイズの小さいものです。それを測定するためには「パーティクルカウンター」と呼ばれる専用の機器を用います。僕が専門とするのは10ナノメートルほどの大きさの物質。これは1mの1000分の1の、そのまた1000分の1の1000分の1のサイズです。こう言った物質を認識し、空気中でどのように動くのかをシミュレーションしたりします。

 

ちなみにチリやホコリって、部屋の中にどれくらいあると思いますか?例えば10立方センチメートルの空間あたりに。

20-30個くらいでしょうか?

およそ 10万個です。

 

映画館とかで映写機から出た光の中で、埃がキラキラと光っているところ見たことありませんか?あれはチンダール現象と呼ばれる現象で、空気中の物質が光を散乱させるために起きることで。僕たちが空気中の物質を測定するときは、その「光の数」をもとに数えています。

 

部屋の中には高性能のフィルターなどが用いられながら、ホコリのような物質が入らないように、その数は極力減らされています。したがって物質が「ほぼ(フィルターから)出てこない」という状況までは達成できます。でも、もし(フィルターから)出てきた場合に、そのホコリがどこへ流れていくのか?そういうところまで把握しようとするのが僕の研究です。

そこまで徹底して空気をきれいにするのって、一体何のためなんでしょうか?

PM2.5やホルムアルデヒドのような物質に代表されるように、私たちの健康に関わる物質もありますので、ごく小さなサイズの物質も把握する必要があります。またそれだけでなく、例えば精密機器や医療品の製造工場などでは、今お話ししたようなものすごく細かいレベルで外からのゴミを認知し、侵入しないようにしなければ、製品の品質を損ないかねません。

なるほど。細かいものを作るときには、細かいホコリにも注意しないといけない。

そうですね。精密機器というと、例えばスマートフォンなんかが挙げられますが、例えばこの中に(スマートフォンを指差して)入っているチップの配線。どれくらいの太さだと思います?

うーん、0.1mmとかでしょうか?

もっともっと細いです。0.13 マイクロメートルくらいなんです。だから配線のチェックを顕微鏡、それも電子顕微鏡で行う必要がある。そんな作業をしている環境の中では、ホコリ1個が落ちるだけでもそれは大変なダメージを受けるわけです。だから空気をギリギリまで綺麗にする必要があるというわけです。

ギリギリ、というのはどれくらい?

例えるなら太平洋にサバ1匹がいるという割合にまでは、空気中の粒子の量を減らせるようになっています。ゼロにはできない、というかゼロであるという証明をするのもこれまた難しいのですけれど。

なるほど。続いて少し話を前に戻して。西村さんが元々空気質の分野を選ばれたのは、どういった経緯・理由があるのでしょうか?

元々今の領域での研究を志望していたわけでなくて。ジャンケンで負けたようなもんなんですよ。

東京工業大学で建築学科に入ってくる人って、最初はデザイナーになりたい人が多いのですが、課題をやっているうちにデザインの才能の有無がわかってくる。そうだ、音楽家モーツアルトの生涯を描いた映画『アマデウス』ご存知ですか?

いえ…。すみません、今度見てみます。

あの映画には天才型のモーツアルトと、努力型の宮廷音楽師・サリエリが登場し、対照的な存在として描かれています。そして最後サリエリはモーツアルトの才能に嫉妬して毒殺したという疑惑まで出てくる。

 

そのサリエリでもないですけれど、僕は東工大の建築学科にいた当時、周囲に才能のある人がたくさんいて。デザインで食べていけるわずかな枠には入れないだろうなと感じた頃があった。そんな頃に研究室を選ぶことになって。一応デザイン系の研究室を志望したのですが、クジで負けて。全然関係のない建築環境の研究室に入った。それが室内環境の研究をするという今の道につながっているというわけです。

 

そのとき僕は「どうせデザインの才能がないなら、こっちの世界で頑張るぞ」と

気持ちを切り替えて頑張った。すると先生にも評価されるようになって。という感じですね。

それから東工大の大学院まで出て、一回大林組に就職して4年勤められていますが、そこからはどのような理由で大学に戻られたというか、研究者というキャリアを選ばれたのでしょうか?

直感的なものなのですが、決めたタイミングははっきり覚えています。大林組に勤めていた時一度測定器を借りるついでに大林組の技術研究所の社食でランチを食べたことがあったんです。

 

そのときに集まったのが、当時大林組の技術研究所の社員だった人で僕が所属していた研究室にドクター論文を書きにきていた人と、僕が所属していた研究室の出身でドクターをとって大林組に入った人。その人は普段は本社の勤務なので、本当にそのときたまたま技術研究所に来ていた感じです。それからもう1人は僕が所属していた研究室の、修士の学生さん。当時大林組と共同で研究か何かをしていたため、たまたま居合わせたという感じです。要するにみんな「なんだ結局同門じゃないの」っていう話で。そのランチで何を話したかなんて、あまり覚えていないですし、大した話はしていないと思います。ただそれをやっているときに、「ああ、僕のいる世界はこっちだな」と感じたんです。

 

おそらくみなさんどこにいても、何かしらしっくりこない感じって多かれ少なかれあると思いますが、そのときの僕はしっくりこないという感覚がなくて。雰囲気といいますか、直感的に感じるものがあって、再び大学で研究をする決意をしました。もしかしたらあの時の4人が集まらなかったら、まだ会社にいたかもしれません。

それにしても辞めるのはなかなかの勇気だったのではないですか。

そうですね、他の人がやっていたら止めていたかもしれません。

民間企業に4年間勤務されていますが、そのときの経験って現在の教授としてのキャリアにどのように影響していますか。

教授というキャリアは教育的側面と研究的側面の2つがありますが、教育的側面でいうと、大学で授業をしている時にすごく実務的なことを教えられるようになったと思います。どんな分野でもある程度そうなのかもしれませんが、教科書に書いてあることと実務ってだいぶ違うことがあるでしょう。そう言った部分については、当時の経験が授業に反映されているような気がいたしますね。

 

それから研究的側面については、例えば論文の中に記載されている数値の意味や感覚が直感的にわかるようなことがありますね。「これは現実を無視しているな」「これはそうもいかないな」とか。

 

そもそも空気質という研究分野は、かなり抽象的で。空気中の物質の浮遊に影響する「風」も、目には見えないわけです。それでも「このような条件の元では風はこう吹くだろう」とか、シュミレーションをしながら理解しないといけない。目に見えないものをなんとか理解する必要があるので、そう言った場面では経験や直感が役立つわけです。

ありがとうございます。それでは最後に今後の展望について聞かせてください。

研究ってどんどん先へと発達していくけれど、結構取りこぼしがあったりするんです。今では原則、基準的なものとなっていることが意外にも「とりあえずこうだよね」という仮定に過ぎなかったりするので、間違っている可能性もあるわけです。

 

こういう研究者の中で当たり前とされていることを疑ってみる。疑うというわけですから、周りからは嫌がられるかもしれないですが、それでも当たり前をもう一度見直してみるという姿勢は大切にしながら、自分の気の向くままに研究を続けていきたいと思います。

松鵜さとみさん

鹿児島大学理工学域工学系理工学研究科(工学系) 建築学専攻助教
2015年篠原記念賞奨励賞受賞

「人と同じ道は走らない」

 

省エネルギー効果が期待される、地中熱を利用した空調システム・アースピットにおける空気質(微生物)汚染や貯水槽の水質汚染と感染症などを研究分野とする西原・環境奨学金のOG・松鵜さとみさん。

現在鹿児島大学学術研究院理工学域工学系(理工学研究科建築学専攻)の助教として教鞭をとられている松鵜さんに、研究者になられた理由・現在の研究テーマ・研究者としてのキャリアを歩む上で意識されていること等について伺いました。

どうして研究者になられたのでしょうか?

いろいろなことが重なって今の進路に至っているのですが、人に勧められたというのは理由の一つにあると思います。修士課程にいた頃に、ある先生がドクターにいくこと勧めてくださったんです。

私の研究を見て「これ面白いし、今までそういう視点って無かったから。とりあえず受けてみたら」と背中を押してくださって。研究するテーマについても「せっかくだから自分が面白いと思ったこととか、気になること、やってみたいと思ったことをしてみなさい」とおっしゃいました。

そこで私は「実は今こんなことが気になっていて」と当時モヤモヤしていたことを話しました。そのとき話した問題意識が、いまの私の研究のベースになっていると思います。

どんなことを話されたんですか?
当時「省エネ」に対する意識からアースピットという空調システムが注目され、導入も進められていたのですが、その施設内での結露や微生物汚染などの問題について気になっていたんです。省エネにはなるのかもしれないけれど、健康面ではどうなの?とね。

アースピットというのは室内に取り入れる外気を、地下のピットと呼ばれる空間に通すことで、地中熱による予冷・予熱を行い、外気導入時のエネルギー損失を低減するものです。

 

例えば、九州だと夏には35℃あたりまで気温が上がります。でも地中は17℃位のほぼ一定に保たれている。そこで、地下に空気を通すことで、機械を使わなくても空気温度を25~30℃くらいまで下げることができる。だから低コストでかつ省エネルギー効果という点で大変高く期待されています。

 

ただ一方で、外の高温・多湿の空気を冷やしていく過程で、さらに高湿度状態になり結露しやすく、外からはカビの元となる胞子なども入ってくる。夏だとアースピット出口の空気温度は25~30℃、相対湿度が70~100%位になるのですが、この温湿度域はカビの増殖に適した温湿度とほぼ同じで、健康面では大丈夫なのかという点が問題になるわけです。実際に、1990年頃に住宅への導入が試みられたことはあるそうなのですが、結露やカビが問題となり断念したという経緯があるそうです。ちなみに私の恩師は、当時その研究に携わっていた人です。

 

省エネルギーも、コストの節約も大切なことですが、同時に中で暮らす人にとっての健康も忘れてはならない観点です。だから私はアースピットを導入した施設の空気質や建物のメンテナンスをどうするか、許容できる範囲がどこなのかについて調べているわけです。

 

現在私が在籍している鹿児島大学の中にもアースピッドを入れている施設がありますので、そこの空気質を調べて、空気中の微生物を遺伝子解析して、どういう微生物が今いて、その中でも何が人間にとって有害なのか、特殊に持ち込まれたり、増殖しているものがないか等を調べています。

なるほど。それから松鵜さんは2015年に公益社団法人空気調和・衛生工学会の篠原記念賞奨励賞を受賞されていますよね。おめでとうございます。その賞もアースピットに関する研究に対してのものなのでしょうか?

いえ、篠原記念賞奨励賞は給排水に関する教育・研究に対するものです。いま主に2つの研究をしていて、その賞は給排水に関する教育・研究に対して贈っていただきました。具体的には貯水槽の水質に関するもの。平たくいえば建物の水周りに関する研究です。

 

建物の水周りって、公衆衛生や感染症予防の観点から水道法をはじめとするルールがたくさん敷かれているのですが、実際は、ルールの本質やその経緯を知らずに、省エネや節水のためなどといってルールが守られていなかったりする現状があります。

 

また、例えば水系感染症の原因となる細菌の一つ・レジオネラ属菌は、現在国内で年間2000人程の方が感染し、場合によっては集団感染や死亡(毎年50~70人)することもあります。検査技術等の発達もありその感染症患者の報告件数は増えているのですが、レジオネラ属菌が発見されて40年以上経った今でも、これを予防するルール、技術や設備はあっても、まだまだコントロールできておらず、問題も残っています。

 

このように水系感染症を予防するための体制があっても、コントロールできていないことに対して危機意識を抱いているところです。

松鵜さんのお話を聞いていると、省エネなど世間的にホットなトピックとはあえて違うところに着眼点を置かれているように感じます。
確かに私がいま研究しているテーマは、建築設備の業界の中でも、建築業界の中でももっとも重要視されている訳では決してないと思っています。空調と比べて給排水は研究者自体の数も少ないし、みんなが注目しているテーマは他のところにあると感じています。

 

ただ、みんなが一斉に注目度の高い話題の方に向いてしまうがために、置き去りにされて、手薄になってしまっている分野がある。その中で、比較的自分が得意とする手法やテーマを見つけて深掘りすることでしか、私には “勝ち目”がない。そんな意識は持っているのかもしれないですね。人と同じ道は走らない、という。

研究者という仕事、選んで良かったですか。

う~ん、色々なことがあったので・・・。ただ、後悔はしてないです。

今までなんとか続いているので、適性はあるのかも?と思います。

仕事をしていて、何かに没頭できる「オタク」には向いている仕事だとは思います。アニメでも漫画でもなんでもいいんですが、何かをずっと探求できる人っていますよね。私はそれがたまたま微生物だった、という感じで。昔付き合っていた人に「俺とカビのどっちが大切なんだ」と言われたこともあります。

 

でもそれくらい何か一つのテーマや問いを掘り続けることができる人には向いている仕事だなと思います。私の研究は、実験が微生物の成長速度や台風などの天候に左右されることも多く、急な予定変更で休日も大学に行って研究をすることもあります。そういった点では大変だなと感じたりはしますけれどね。

最後に西原・環境奨学金を選ぶかどうか悩んでいる方にメッセージをお願いします。
ドクターの奨学金って、所属大学が指定されているような指定校制のものが多かったりするのですが、西原・環境奨学金は、出身校を問わずに応募を受けつけてくださっている点、非常に珍しい奨学金だと思います。

 

そして選考の過程においても、「誰が言っているか」よりも「何を言っているか」が重視され、研究していること・したいと思っていることの将来的な展望や、内容を評価してくださったように感じます。奨学生になった後も、同じ西原の奨学生であることがきっかけで、同じ学会の研究者との繋がりができたりもしました。

 

西原・環境奨学金がなかったら、今の仕事はしていなかったと思います。

​(研究室の写真)

​(採水の実測の様子)

​(アースピットの実測の様子)

​( アース​ピットの実測の様子)

河野有吾さん

株式会社エックス都市研究所 主任研究員

産・官・学・⺠をつなぐ 環境施策の実務家として 「持続可能な脱炭素社会」をプロデュース

2019 年スウェーデンの環境保護活動家グレタ・トゥーンベリさんによる国連で のスピーチが世界各地のメディアで報じられ、若い世代を中⼼としたグローバ ルデモを引き起こしたことは多くの⽅にとって記憶に新しいことでしょう。 このような昨今の環境問題への意識の⾼まりに⼤きく先⾏し、1971 年の創設以 来 45 年以上にわたり「持続可能な脱炭素社会」のデザイン・プロデュースを⼿ 掛けてきた専⾨家集団・株式会社エックス都市研究所。 今回の OBG インタビューでは、同社で主任研究員を務める第 36 回奨学⽣・河 野有吾さんに、⼤学時代から今に⾄るまでのライフヒストリーから現在のお仕 事、ご趣味などについて伺いました。

 
⼤学のときは何を勉強していましたか?

東北⼤学の⼯学部で、衛⽣⼯学を専攻していました。
もともと⼤学に⼊るときには建築を学びたいと考えていました。ところが、⼤学 2年⽣の時に「建築か⼟⽊か」を選ぶ際に、建築の学部説明を聞いていて”建築 って、芸術だな”と思うようになったんです。⼤学で学ぶものというより、セン スが求められるものだと。それで建築のコースに⾏くのはやめて、⼟⽊のコース を進むことにしました。 それから⼤学4年⽣になると各研究室に配属されます。⼟⽊のコースを選んだ 後の⾃分は”環境”に関⼼を持つようになっていたので、⼟⽊の中でも衛⽣⼯学を 選びました。

「”環境”に関⼼を持つようになっていた」とは、具体的には?

レイチェル・カーソンの「沈黙の春」を読んだことがきっかけです。 環境関連の研究室がいくつかあり、もう退官されましたが、野池達也教授の研 究室に⼊りました。衛⽣⼯学は、⼈の営みと環境がリンクする分野だと思った ことがきっかけになります。また、ちょうど野池教授が⽂部科学省のプロジェ クトに参画していた時期でしたので、当時はメタン発酵を阻害させて⽔素だけ をできるだけ取り出す、というような研究なんかにも携わっていました。

修⼠課程までは進学されていますが、博⼠課程に⾏こうとは思われな かったんでしょうか?

7割くらいは進学しようと思っていましたよ。でも当時の指導教官だ った野池教授がもうすぐ退官されるタイミングだったので、ドクターに進学し たとしても野池教授のもとでは研究できなくなる、というのが気になって。それ で進学はせずに就職しました。

就職先をエックス都市研究所にしたのはどうしてですか?

まず、就職するなら研究はしたくなかったんです。だからメーカーの 研究所という選択肢もありえた中で、コンサルティング会社を選びました。コン サルティングにも⾊々ある中で、エックス都市研究所を選んだのには、所属して いた研究室の OB の⽅とのお話が影響していると思います。 裁量労働制で、割と⾃由な働き⽅ができるというお話を伺ったんです。それから スーツを着なくていいと⾔われたのも魅⼒的でしたね。あとは⾯接官の⽅が⾯ 接後に、「ぜひそのまま(後の⾯接も)受けてほしい」と熱⼼に誘ってくださっ たことも、今の会社を選んだ理由として挙げられると思います。

今はどんな仕事をされていますか?

エックス都市研究所の仕事には⼤きく分けて3つあります。
1つは 国、主に環境省などに対するコンサルティング。これが7割ほどを占めていま す。2つ⽬は地⽅⾃治体に対するコンサルティング。そして3つ⽬に⺠間企業に 対するコンサルティングがあって、私は主に3つ⽬を担当しています。
1つ⽬の仕事、国に対するコンサルティングは、国(例えば環境省などの官庁) が将来実施したいと考えている計画がある時に、「なぜそれをするのか」「どのよ うに⾏うことが⼀番有効か」をリサーチする仕事。国の計画の策定に携わりま す。
2つ⽬の地⽅⾃治体に対するコンサルティングは、例えば国が新しく法律を制 定・計画を策定した時に、地⽅⾃治体もそれを受けて個別に計画を⽴てることが 求められます。この計画策定のお⼿伝いをします。 また、この他にも「⾃分たちの⾃治体でしかできない独⾃のことをしたい」と考 えている地⽅⾃治体の⽅に対して、そのビジョンを具現化するためのプロジェ クトのお⼿伝いをしたりします。
3つ⽬の⺠間企業へのコンサルティングでは、⺠間企業の技術開発・新規事業の サポートなどを⾏います。⺠間企業が技術開発や新しいビジネスをはじめる時、 国の補助を活⽤したい、地⽅⾃治体と提携して具体的に導⼊したいと⾔ったニ ーズが⽣まれることがあります。この時に私たちが間に⼊って、連携できるよう にサポートをしたりします。私はいま、特に⺠間企業の低炭素・温暖化対策に関 連する技術開発の⽀援・事業展開の⽀援などに携わっています。

ありがとうございます。最後に、趣味とか、純粋に好きなこととかがあれ ば教えてください。

うーん…。基本的に収集癖があるので、あまり⼿を出さないようにはしているも のはありますね。特定のアーティストの CD とか、特定の作家の単⾏本とかは⼀ つ買ったらつい全部集めたくなってしまう性格です。 あとは⼈と会って話すことは好きですね。だからこのインタビューも楽しいで すし。仕事先でいろんなお客さんと会って話すのも楽しい。そういう意味でも今 の仕事を選んでよかったなと思っていますよ。